‘河瀬は思う’ カテゴリーのアーカイブ

★書くということ

2011年12月16日 金曜日

本を書くということをさほど<大げさに考えてはいけない>し、
しかし、時として、<大げさに考えなくてはいけない>のです。
それは、商業出版という見地に立ってです。

商業出版とは、「自分でお金を出す」ということではないから、自分が書くことで、
商業出版してくれる会社にお金をもたらすことが出来るかということです。
そのお金をもたらすことができるという可能性に、出版社はかける、いわば投資をしてくれるわけです。

書くことをを<大げさに考えなくてはいけない>人とは、
自分になんらかの肩書きを持っている人です。
それで、生きている人です。
肩書きと、書くことは別物です。
たとえば、大手の会社の社長 、大学の先生、高等役人、大手会社の退職者など、そのような人たちに「書ける」と思っている人が多いのですが、所属している組織で、その地位を使って自分より下位者に「読むことを強制する」ような通達や論文を書くわけではないのですから、商業出版としての市場価値はないわけです。

それよりも、多くの実績を出しながら、独自の哲学で自分の人生を切り開いてきた 市井の人のモノが共感を得るし、役に立つのです。
こんな人が、書くことを<大げさに考えてはいけない>人たちなのです。
ですから、そういう人こそ書くべきで、「書けない、書く能力がない」と卑下することはないわけです。

書きたい人と、書けないと思っている人の能力が得てして逆転しているのです。
さあ、どんな肩書きもないあなたにこそ、チャンスが待ち受けているのです。

★ありがとうを皆様へ

2011年12月14日 水曜日

怪我をして入院している病院の窓から見た月蝕は幻想的で、素敵でした。
さて、入院はしているものの、みなさんの応援を得まして拙著「人たらし道免許皆伝」が、こう書房さん11月の売れてる本の第一位になりました!!!


<http://www.kou-shobo.co.jp/news/n3036.html>
本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。

病院では、「人たらし道第二弾」の企画書づくりと、すでにオファーをいただいている本の著述にかかっています。
年内は病院ですが、その病院からみなさんに早めですがメリークリスマスと良いお年をお迎えくださいとのメッセージを送らせていただきます。

★夢をつくる、つづける

2011年11月9日 水曜日



昨日、56歳になりました。
10代の頃には想像もできなかった年になりました。
10代も後半の私は、文学者になりたかったのです。
本を読み漁り、一枚一枚のカードにいろいろなことをメモしていました。

しかし、人生は自分の意図したところとはまったく違った方向に走り出しました。
意図しない大学に入り、意図しない学部で勉強せずに就職して、意図しない会社に入り、
人事総務、そして嫌いな営業に配属され、
その嫌いな営業から、仕事上政治の世界に首を突っ込み、
選挙参謀のようなことを仰せつかり、15戦15勝して、衆議院議員たちや周囲から議員になることを勧められもしました。

しかし、そこで垣間見た人間というもののグロテスクさを知っていたので
決して政治家になることはなく、そんな嫌いな営業をある程度極めて、
トップ営業マンと呼ばれるようになり、これまた仕事上首を突っ込まざるを得ない販売の世界に首をつっこみ、
これまた意図しない販売員となり、それまで書き溜めてきた数千枚にわたる読書カードを、
もう文学者にはなれないとばかりに捨ててしまいました。

苦労に苦労を重ねて、商品を持ち込む業者に騙され騙されて
何時の間にか「完売王」と呼ばれるようになっていました。

55歳になり、そんな人生に追い込まれて、書いた原稿が大手出版社から本になり、
立て続けに3冊が商業出版され、その中の一冊が中国語にも翻訳され、さらに2冊が出版社採用になり、
さらに一冊分が出版社に持ち込まれ、気がつくと向こう7冊になろうとしています。
そして、56歳になりました。
これから3冊書くと、56歳中には10冊になります。
10代の頃の夢が、知らぬ間に人生の中でつづけられ、気がつくとビジネス書作家になっていたのです。

夢を<つくる>、夢を<つづける>ことを、苦労の連続が見せてくれました。
そして着々実現させてくれる、仲間に感謝!

☆写真のお店のスタッフが、デザートのお皿にわざわざチョコで書いてくれました。

★野田総理大臣誕生

2011年8月30日 火曜日

民主党代表選に、大方の予想を覆し、あれよあれよという間に代表になり、
今日30日は内閣総理大臣になる予定です。
私とは、今から15年前の佐賀県多久市という町で知り合いました。
野田さんは当時105票差で敗れて浪人中でした。
一緒に酒を飲み、いろいろな話しをしました。
その時に彼の似顔絵を書いた「カズちゃんタイムズ」を発行し全国に配りました。
一緒に、千葉は市川で便所掃除もしたのです。
昨年、私の出版パーティーに出席されるはずが、組閣の日と重なり、電報を頂戴しました。
彼の携帯に電話をしたのが懐かしい思い出となりました。
15年を経て、彼は内閣総理大臣に、わたしは「完売王」と呼ばれるようになり、ビジネス書をたくさん書くようになりました。
人生いろいろあるけれど、まあ、ともに切磋琢磨しましょう。
当時、描いた「カズちゃんタイムズ」から、野田佳彦さんの似顔絵です。

 

★人生を180°転換したい方へ。のお役立ち

2011年8月19日 金曜日

人生を180°変えたいなら、本を出版した誰もが言うように、
やはり私も「商業出版をしなさい!」とお薦めします。

出版には、<商業出版>と<自費出版>という2つの形があります。

<商業出版>とは、
出版社が売れるだろうと見込みをつけるから、「出版するのに価値あり」と認められるものです。
他人が認めるわけですから、リスクは出版社が負ってくれるのです。
つまり、資金もリスクも0です。
ただし、書くという労力と能力が必要になります。
しかしそれも、本が売れると回収できるわけです。

<自費出版>とは、
誰が、どう言おうが、自分が価値があると思えば、いつでも勝手に出すことができます。
ただし、お金がごっつく掛かります。
既存の出版社の名前で出すなら、最低、200万円以上はかかるでしょう。
名のある出版社だと1000万円近くかかるといわれています。

すなわち、リスクを誰が取るかということです。
出版社にリスクをとってもらう形になる、<商業出版>は、出版社という相手が自分を認めてくれるわけですから、価値があるわけです。
PHPから出ている「カリスマのつくり方」という戸矢学氏の本の中に、「著書を出版する効果」という項目がありますが、その中に書かれているのは、「自費出版はダメ。これは単なる自己満足にしかならないし、むしろ逆効果になることが多々あります。自費出版では社会的な訴求力が期待できないので、あくまでも「商業出版」であることが絶対条件です・・・」とあります。

しかし、私は、そんなこともない、自費出版も使い方や出し方によっては効果を得る方法はいくらでもあると思っています。
ただし条件は、様々あります。
<商業出版>をしてから<自費出版>という形も一つの方法です。
ここでは詳しくはお話し出来ないので、それはまた機会があればお話しさせていただきます。

ありがたいお話しで、私もこの9月から12月まで、短期間のうちに4冊の本を
<商業出版>させていただくことになっております。
関係者の皆様、、本当に感謝です。

そして、この感謝の気持ちで商業出版をしたい人たちのために還元するべく、
6回コース程度での出版塾を計画中です。

こうご期待ください。

★野田のヨッちゃん

2011年8月10日 水曜日

私が呼ぶ「ヨッちゃん」こと野田佳彦さんが、総理大臣候補とニュースで知りました。
この9月から、私が続々出版する本の中に、選挙のことについて少し触れています。

私は、イエローハットにいたことは、私の一冊目の著書「また、売れちゃった!」(ダイヤモンド社刊)
に書いてありますが、そのときボランティアとして選挙応援をしていた時期があります。

その時に、佐賀県は多久市という町で、今でも市長の横尾俊彦さんを応援した時です。
そこでお友だちになったのが、1997年当時落選中の野田佳彦さんでした。
105票差で落選中で、ガックリしていましたが、政治への情熱には目を見張るものがありました。
ボランティアの私たちと一緒にドロドロになりながら、走り回っていました。
うーーーーん、その人が総理大臣候補とは、頑張れですよね。

その時代は写メなんてものはなかったので、河瀬が手描き新聞にしたのです。
懐かしい記念にご照覧あれ!

野田のヨッちゃん、あなたは総理大臣候補で、河瀬は売場の現場でともに頑張りましょう!

 

★海苔の大森屋さん

2011年8月8日 月曜日

「河瀬さんのブログを見つけました!」
といっ実に17年ぶりに、大阪の「海苔の大森屋」さんの藤原総務課長からお電話をいただきました。

その17年前、まだ私が営業マンだった時代に、阪神大震災直後の大阪に転勤を命じられ、
尊敬する上司(故人)から、

「丸紅のコネクション、銀行のコネクションを一切使わずに仕事を決めて来い!」
といわれて、イエローハットさんと同様に飛び込みで入って、シリーズ葉書を出してお仕事をいただいた先なのです。

ここにはイエローハットさん同様、苦心惨澹の営業物語があるのですが、

私の著書「また、売れちゃった!」(ダイヤモンド社刊)には、
実はそのストーリーは出していません。

私の<独自のハガキ>を出して仕事をもらった先として、懐かしき先なのです。
この<独自のハガキ>も、出版社から面白いといわれ、うまくいくとこれもまた、
他の4冊の著作と同様に本になるかも…?
懐かしついでに、出版社用に再度描き起こした、その藤原さん宛のハガキを一枚、お見せしましょう。

 

★無題ノート

2011年7月21日 木曜日


2年前に買った「アスース」という台湾メーカーのパソコンで、原稿を起こし、
私は3冊の本を出してきました。
「また、売れちゃった!」(ダイヤモンド社刊)。
そしてこれから8月末に発売される<柏艪舎>さんからの本「学者には理解できない異端の販売力学」。
さらに10月発売される<こう書房>さんからの「人たらし道免許皆伝」です。

さらに、先日出版社からオファーのあった「商品プロデュース力」。
これも含めると、向う4冊がこのパソコンから輩出したことになる、大いに貢献してくれた
大切な大切なパソコンなのです。
これだけ大いに貢献していただいているのに、機種変更などもってのほかであります。

しかし、iPadなるものを友人に見せられて、使わせてもらうと、便利、便利!使いやすい。

スタッフの「もう、いいでしょう、そろそろ古い機種は神棚に上げて、休ませて上げたら」
の一言で、ついにiPadを買ってしまったのです。

優秀な出版プロデューサーの<おかのきんや>さんに、
「河瀬さん、原稿はきちんとバックアップしてますか?」の一言に、
「データ失ったら、また書き直せばいいから」と私が答えると、心優しいおかのさんは言いました。
「河瀬さんは、そんなことすると、きっと書けなくなってしまうんでしょうね、大丈夫、バックアップは僕がしておきます」って言ってくれました。

でも、おかのさん、iPadってクラウドと言って、河瀬の原稿のバックアップは、
雲のようなシステムがしてくれるそうで、本当にご心配かけました。

部屋に戻って来てみると、早速何を感じたのか旧式のパソコンが動かなくなっていました。
「ごめんね、君を捨てるつもりじゃなかったんだ」と平謝りに謝りながら、
画面をそっと閉じて、iPadにご執心な自分に情けなくなってきたのです。

★人たらし道

2011年7月1日 金曜日

「また、売れちゃった!」の出版後に、私が書いた原稿「人たらし道」に、
ありがたいことに3社からオファーがついて、最終的に出版社は<こう書房>さんに決まりました。
それから「チーム人たらし道」なるものが、いつの間にか出来あがり、
関係スタッフで和気あいあいのうちに楽しく編集が進んでいます。
こう書房さんは玉井光法さんを頭に、鈴木編集長が総括、わがプロデューサーおかのきんやさん、
そして私と、みんなスクラムを組んで、メールのやりとりで大いに盛り上がっています。
このチームの間を、一日何通ものメールが飛び交うのです。
忌憚のない意見が交わされ、そのたびごとに、自分の書いた文章がドンドン光ってきます。
自分の書いた文章で、読んだ相手が泣き、そこにさらに手を加え、今度は私が泣かされ、感動の作品です。
こうして書いてみると、あの時々の苦しかった人生の一つひとつがキラキラ光る宝石のように見えるから不思議です。
この本を読まれるみなさんも、一度何かを書いてみると、いろいろな自分を発見出来て楽しいですよ。
私は、すでに次のものを書いているのです。

★自分ブランディング 2

2011年6月7日 火曜日



その昔、多くの政治家候補がイエローハットのオーナーの鍵山秀三郎さんのところに、飛び込んできました。

そして鍵山さんの応援する候補は、みんな当選していきました。

その噂が噂となって、鍵山さんのところに多くの政治家候補がやってきました。

鍵山先生が首を縦にふると、私に鍵山先生から電話がきました。

そして私は、ボランティアとして長期間その候補者のところに赴くのでした。

そこで、私の持っている営業や販売のノウハウを駆使します。

「名も無い商品を売る」ことも「名も無い政治家候補を宣伝する」ことも、同じなのです。

こうして15戦15勝の神話は生まれていきました。

 

当選した政治家に「河瀬さんありがとう、ありがとう!」と賛辞の言葉はもらっても、

それは当選したその場限りのこと、私にとっては「ありがとう」の言葉が消え去ると同様、私も消え去る風のようなものでした。

いつまでも、私に付加価値はつきません。

自分は、消耗品だったのです。

 

同じことが商品にも言えるわけです。

売って、売って、売りまくって、ドミノ式に販路が広がって、マスコミが取り上げて、やがて商品が大ヒットしていきます。

実は、商品と販売の二対で一つなのにもかかわらず、販売に関しては見えません。

見えないからこそ、他社には真似の出来ない「隠された強み」になるわけですが、それはその強みを主張しなければ、「見えないもの」に、人は価値をつけないということがわかったのです。

商品に脚光はあたっても、私に付加価値はつきません。

そうです、私は大切なことを見落としていたわけです。

 

私は、自分というものを目に見える形で主張しようと、本を書き始めたのです。

それが、ダイヤモンド社で発刊された「また、売れちゃった!」だったわけです。