‘その他’ カテゴリーのアーカイブ

★希望の丘

2011年4月22日 金曜日

その友人の名前は、原尚さん。

東京藝術大学を出た一級建築士。

年は、私より6歳上で、良い先輩でありそして良き友人。

「河瀬さん、河瀬さん、東日本大震災で壊滅した陸前高田に行ってきました。

そして考えたのがこの案です」と、図面を書いた。

津波防御のために、倒壊した建物を活かす画期的な案。

詳細は、原さんの案を見ていただきましょう。

それでは、原さんのプランを、ここに紹介申し上げます。

ちなみに原さんの友人は世界的な建築家「隈研吾」さん。

そして、この建築物に名前を付けたのは、「団紀彦さん」(故団伊玖磨氏のご子息)

であります。

こちらからもご覧頂けます。

 

★なまこ・ストラップ

2010年11月30日 火曜日

ナマコ(海鼠、英語: sea cucumber, sea slug)は、棘皮動物門のうち、体が細長く口が水平に向くなどの特徴を共有する一群である。ナマコ綱に分類される。世界に約1,500種、日本にはそのうち200種ほどが分布する。食用になるのは、マナマコなど約30種類。寿命は約5~10年。Wikipediaからの引用である。

写真は、実物大のソレである。

乾燥した本物なのだ、模造物ではない。

水につけると、これの5倍くらいの大きさになるという。

「気が向かねえとつくらねぇんだ!」

むかし漁師、いま枝幸町観光協会事務局次長、「ひかるちゃ~ん」とみんなから呼ばれる人気者

丸山晃さんである。

なまこ・ストラップのほか、写真にあるタコも、貝柱も実物なのである。

★わが心のふるさと(枝幸)

2010年11月27日 土曜日

札幌での講演の後、足をのばして友人の車で枝幸という町まで行って来ました。

オホーツク沿岸にあるこの町は、大正時代に砂金で栄え、カニ漁も盛んで3万人の人口を誇ったという。

流氷の来る町である。

今は列車も廃線になり、交通は車だけとなってしまった。

私が小学2年~3年と2年間を過ごした町である。

過ごした2年という短い期間であったにもかかわらず、当時の友達がいまだ多くおつきあいをいただいている。

冬は零下30°。

凍える中で汽車を待つ人々。

春は、芽吹いた草木の間を雪溶けの水の流れる音に心を弾ませる。

夏でもドラム缶で火を焚かなくては、寒くて泳げない海オホーツク。

流氷は、はぐれた大切な人を恋しがるかのように、深夜声を上げて孤狼のように泣くのである。

★W河瀬(ダブルカワセ)

2010年10月4日 月曜日

書店の丸善で自分と同じ名字の河瀬さんの本を見てビックリ!
『また、売れちゃった!』を読ませていただきました。面白かったですよ。

と河瀬誠(かわせまこと)さん。

こちらの河瀬さん、7月に日本実業出版社から「経営戦略ワークブック」という本を出版したばかりです。

私(河瀬和幸)の本を読んだという河瀬誠さんから先日メールを頂戴し、帝国ホテルでお会いして上記の会話になったのです。

お会いして早々に、河瀬一族の話からはじまった。

誠さんの祖先は幕末時、長州高杉晋作の下での騎兵隊。私の方は、坂本龍馬と薩長同盟に奔走。

誠さんの著書は、経営戦略の観点から書いた本で、私のは戦術面から書いた本である。

河瀬誠さんがおっしゃった。

「私の書いた本の戦略のこの部分が、和幸さんの書いた戦術のこの部分とおなじです。ホラ、ここもそうです、ここも、ここも。」

同じ倒幕に走った一族のDNAのなせる技なのか。

「一度、W河瀬で本を書きたいものですね!」そう握手をしてホテルをあとにした。

近い将来、戦略と戦術一体の本が出版される事を期待して。

12時に針路をとれ!

2010年7月27日 火曜日

猛暑の満月の昼下がり、葉山マリーナからヨットが一艘出た。

乗組員は5名、私を含め操船には何の役にも立たない客としての3名、操船員2名。

ダダダダダダダダ…、港を出るまで軽やかなエンジン音。

「さあ、ここらでいいでしょう、帆を張りまーす!」とキャプテン原の一声で、エンジン音はピタリと止み、キリキリキリキリと帆を張るロープが回される。

ダバッ!と帆が一気に開くと、バオバオバオバオと風を受ける音が耳に届く。

波を切ってヨットは進む。「目指すは12時の方向!時計と同じ要領で方向を示します」とキャプテンからの説明。同乗の女性の「ああ、サザンオールスターズの“勝手にしんどバット”の中で出て来る歌詞は、これなのね!」。

そう言われてハタと気がついた。♪今何時?そうねだいたいね~♪。長年のカラオケの持ち歌詞を知らないで歌っていた…。

ヨットから垂らした糸に、サバがこれでもかというぐらいに釣れて、釣れて、同乗の奇麗な女性が

「また、釣れちゃった!これって河瀬さんの本のタイトルよね!」

太陽が水平線に沈んで、大きな満月が波間に漂う。全員、ただボー然と月を見上げる。

「奇麗ね…」。「本当に奇麗だ…」。

洋上でワインを飲みながらそれぞれの人生を語り合う。人生の方向も「12時を目指せ!」だ。

言葉に出来ない感情がひとり一人の心に沈んで行った夜でした。

ちなみに私の本のタイトルは
「また、売れちゃった!」(ダイヤモンド社刊)ですから勘違いのないように…。

風になった

2010年6月28日 月曜日



代官山の駅の前のベンチで腰かけていると一台の車が止まる。
「やあ!こっち、こっち」。
見たことのあるオープンカーの中から手を振る男性。
フランスの国連部隊のようなベレー帽にサングラス。
よ〜く見ると、6歳年上の先輩ながらお友だちの原尚さん。
先日女優で芸術家の蜷川友紀さんをご紹介してくれた人である。
「さあ、行きますか!」といってエンジンをかける。
グイグイグイ、ブルルルル…、ガソリンの上がって来る音と、明らかにそれにスパークして点火してエンジンがかかった音だ。
車に無知なボクでもよくわかる、これこそメカの原点。
「このフロントはずせるんだ、そっちのネジをゆるめて…」。
パタンとフロントガラスは前に倒れると、ビュービューと風が顔にあたる。
「景色が違うでしょう!」。そう言われて見る景色はこれまでとはまったく違って見える。都心の暮れなずむ風景の中を、風になって突っ切った瞬間であった。

美女出現。

2010年6月26日 土曜日

私の友人。
…とはいってもボクより7歳上ですが…、
夕方青山にあるジムの帰りに彼に電話をしました。
すると電話に出るなり「やあー、ちょうど良かった。ちょっと電話、代わります」
と言って電話に出た相手は女性の声。。。

「はじめまして、蜷川友紀です!先日は、私の大丸心斎橋店での個展に来ていただきありがとうございました。いまちょうど河瀬さんのことがいろいろお話しに出てましたの。いま、どちらにいらっしゃるのですか?よろしかったらこちらにいらっしゃいませんか?」

訪ねた先は麻布十番の小料理屋。
障子をあけるなり美女出現!
その女性が蜷川友紀さん、芸術家で女優、おじさんが演出家の蜷川幸雄さんである。
その美女の横に座っていたのが建築家の団紀彦さん(故団伊玖麿氏の息子さん)。

「河瀬さんの販売論って、おじの言っていることにそっくり!」って蜷川さんはテーブル越しに身を乗り出して聞いて来る。それに輪をかけて建築論で団さんが「うーん、建築物と販売心理か…、それは凄い面白い!」。

話しははずみ夜もとっぷりと暮れ、みんなで間もなく靖国神社にかかるであろう見世物小屋に一緒に行く約束を交わしたのでした。

小指の思い出。

2010年6月10日 木曜日

♪あなたが 噛んだ 小指が痛い、昨日の夜の 小指がい~たい~♪
とは伊東ゆかりさんの懐かしい歌。
ボクの左手の小指は痛いのでは無く、曲がっている。

数年前、マッサージに凝っていた。いろいろなマッサージ屋さんに通っていた。
気持ちがよくてほぼ途中で寝てしまう。あまりの気持ちの良さに、自分の尻からゆっくり長い時間かけて“ププププ~ッ”とオナラが出つづけていたこともある。プロパンガスのガス漏れの夢を見ていた。
「ガスを止めるのだ!」と夢の途中で自分の醜態に気がついたこともある。うす眼を開けると、揉み手はどっぴいていて部屋の端に避難していた。ボクは恥ずかしくて爆睡を決め込み、うつぶせになったままだった。

その後、タイ式マッサージにはまった。体のいろいろな部位を引っ張るのであるが、ボクは「もっと、もっと」とそこに行くたびにその強度を増して行くのを要望した。「もっと指も強く引っ張って、もっと、もっと!」と言いながら、ボクの意識はそのまま落ちて行った。

数日後、お茶碗を持ったとき、「あれ~、ボクの小指なんか見慣れない~」と思って右の小指と比べて曲がっていることに気がついた。それから「もっと、もっと」と要望するのを止めたと同時に、興味が薄れてしまった。

販売もある意味同じだ。「もっと、もっと」と欲望はつきない。

販売の「もっと、もっと」は、ボクの小指のようにならないように追求していきたい。
小指の曲がってしまった思い出である。

玉利かおるさんとの食事は弾む…

2010年6月8日 火曜日

「なるほどー、へー、ビックリ。そんなのって凄いわー。で、それで、それで…」
とワイン片手に玉利かおるさんが河瀬の販売実践理論に身を乗り出して来られた。

ここで「玉利かおるさん」をご紹介します。
玉利かおるさん。
テレビ朝日のANNニュースフレッシュ(テレビ朝日系)で1992年度に1年間キャスターを務め、その後はNHK-FMの「歌謡ジャーナル」、同ラジオ第1放送「地球ラジオ」などのラジオパーソナリティを担当。2001年には歌手としてもデビュー。また、1993年3月まではやじうまワイドのキャスターだった。その他に、アサヒ緑健提供番組(UHF局ほか)のナビゲーターもしていた。また、現在はワインエキスパートとしても大活躍しています。

こんな素敵な女性と6日夕方から丸の内にあるベトナム料理のお店で食事をともにさせていただきました。玉利さんが河瀬の話す販売実践理論にあまりに驚かれるものだから、「これはああして、こうなって、だからこうなる…」といつもよりさらに饒舌に語ると(河瀬はほっとけば24時間でも喋ってる…)

「その販売技術って、どこで身に付けられたのですか?だーれも知らないだろうし、教えられもしなかったでしょう…。エッ?現場?現場で身につけられたの! 凄―いわよ!よく10年もお客さんを、それもいろいろな現場でこれだけ観察して来られましたよね~、で、それで、それで…」って続けるものだからさらに、さらに私の口は回るのであった。

ワインソムリエでもある玉利さんの口に運ばれる白ワイン。そして口からこぼれる至極の言葉。「暖かい地方で採れるブドウは完熟するから甘いの、でも寒い地方では完熟するのが遅く酸っぱくなります。人間と同じなの。寒いところで採れて、年を重ねてじっくり熟成するととっても味わい深いワインになるの」。

人間談義に話しは広がり、決して恐れることなく、ひるむことなく、自分の人生をそれぞれに熟成させた人々の物語がワインにパーっとちりばめられ、素敵な素敵な夜は時間も忘れて過ぎて行ったのです。